念仏坂にある謎の小祠金剛登山道を封鎖!
山主との攻防戦普段どおりに登って、回数捺印してもらい、そして下山する。
今日もいつもの日常だったと帰る。
しかしながら金剛山は、まわりの他の山とは似て非なる山だなと思う事は多々ある。
なぜ、勝手も知らない、登ったこともない金剛山にはるばる遠くからやって来て
どうしてそんなことになるのだ?
と思える不可解・不可思議なことは昔も今も変わらずに起き続けている。
具体的な場所や出来事は書けないなかでも念仏坂では圧倒的に多い。
私自身でも何度か体験しているし、最近も直面してしまい110番した事がある。
金剛山での事件・事故で報じられない事案が数多くある中でも
それはさらに人知れず、夕方遅くのわずか2時間ほどの間に
何ごとも無かったように静かな山に戻った。
その昔、1333年に起きた河内の武将、楠木正成と鎌倉幕府軍との間で起こった
包囲戦「千早城の戦い」では多くの兵が命を落としている山ゆえに
何かのみえない力が選ばれし者を呼ぶようなことがあったりするのだろうか。
そんな「本当は怖い」何ちゃらという話はさておき、
念仏坂に「
金剛白龍大神」(上の写真)というのがあるのはご存知だろうか。
何と、性根(しょうね)の入っていない「なんちゃってオブジェ」だという。
以前紹介したことがある絶版本「
金剛山のサムライたち」。
物語の大筋はフィクションでありながらも、
細部のあまりにリアルな描写は、多数登場するお馴染みの固有名詞からしても
史実に基づいて完成としか思えないほど具体的である。
時は1980年代前半の事なので、今から約40年ほど前のことである。
<一部抜粋> 「やはり四百メートルは歩いたのだろうか。念仏坂を登り詰めたところに、
下にあったのと同じ鉄柱が背中を見せて道路の真ん中に立っていた。
と、その右側に見慣れぬ小さな社が在った。
たしか一ヵ月半ほどまえ、ここを通りかかったときにはなかった建造物である。
三基の鳥居をもつ小祠であった。
先頭の鳥居の額に、「金剛白龍大神」と記されている。
鳥居といっても、足場丸太よりちょっと太いくらいの檜丸太を、
皮を剥いだまま組み合わせた体裁だけの代物で、
社といえば、家庭の神棚をひと回り大きくした程度の新品である。
あきらかに俄に仕込んだ村芝居の舞台装置の感があった。
(なるほど、これが山の神さんか・・・)
沢田幸治は冷めた眼でその小祠と鳥居を視た。
立札の冒頭の文句がうかぶ。
<この道は私道です。安全を祈願して山の神さんを祀っています>
何が山の神さんか。金剛白龍大神なんて聞いたこともない。
あまりにも見え透いた演出ではないか。何のおマジナイだ。」
知ってた?
練成会ではなく、錬成会なのだ。
当時は一日に何度登ってもその数だけ捺印してもらえたらしい。
錬成会員数は、最盛期は4千名に達していたが、
現在は2千名ほどで運営が厳しくなってきているらしい<抜粋>
金剛バスと南海バス<抜粋>
金剛山ルート案内、あるある<抜粋>
金剛登山道、封鎖!<抜粋>
<中略>
金剛登山口バス停前にある桜茶屋のこと、サマーハウスの事、
金剛山に登っているとアレは何?みたいな昔の名残に気づくことがあるだろう。
そんな疑問も解消してくれる全450ページにおよぶ本であった。
でも、オブジェだとは、、、_| ̄|○ ガクッ
それはともかく、今回の記事と併せて「2010/12/15」の記事も拝見しました。
なかなか興味深いですね。
錬成会、金剛バスの床、瀬戸、道路整備、桜茶屋、金剛白龍大神、、、などなど
掲載ページを読むにつれ他のページも読みたくなりました。
で早速、あるサイトでこの本を見つけ思わず発注w(1200円)
在庫確認の連絡待ちですが、わくわくです。^^/